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2012年12月

2012年12月31日 (月)

たまにゃOBをたずねてみる(2:永井龍編)

ずっと前から訪問してみたかった地、パース。

「世界で一番美しい街」と呼ばれるオーストラリア西部の都市のサッカークラブにまさかセレッソのアカデミー出身のプレイヤーが移籍するなんて話は夢にも思ってなくて。

正直なところ予算的にはキツかったけれど、千載一遇のチャンスが訪れたので行ってまいりました。

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永井龍選手。セレッソユース出身者初の海外組になるのかな。
(写真はU-18所属当時)。

【略歴】
 2004~2006 セレッソ大阪U-15津守
 2007~2009 セレッソ大阪U-18
 2010~    セレッソ大阪 現在3年目
 ※2012.10よりパースグローリーFC(オーストラリア)にレンタル中。

しなやかなプレーと高いセンスで幾度となく値千金のゴールを生み出し続けたアカデミー時代、トップチームに昇格してからはフィジカルの強化に伴い力強さのほうが前面に出てくるようになりました。しかしケガに苦しめられることも多く、活躍を求め続ける周囲の期待が重くのしかかった時期もあったのではと。

そんな中訪れたチャンスはレアなケースだったかもしれませんが、彼にとっては大きな再生、そして成長のチャンスに違いないと思い、その頑張りをこの目で確かめたくて行ってきました。

当然激励の気持ちが一番ですが、ほぼ未開の場所でどのように奮闘しているか興味津々、訪問時期がちょうどケガの回復直後となったため、せめてベンチ入りかあわよくばたとえ少しでもプレーが見れたらいいなと思ってスタジアムに行ってみると。

余裕をみて試合開始3時間前にスタジアムに行ってみるともうすでに会場入りしているとのこと。集合形態は各自クルマ等で会場までやってくる形式っぽい。

とりあえず試合前の練習に参加しているかどうか。ベンチ入りの情報もないままスタジアムに入ったのでどうかなと思って待っていたら。

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あっさり発見できてひと安心。ちょびっとドキドキしたのは秘密ですが。

自分の周囲には子供が数人しかいなかったことを差し引いて考えたとしても、アップ終了後に気づいてもらえたあたりは相変わらずの察知能力というかw。

するととなりの子供たちが「Ryo is on the starting list.」と教えてくれた。

…え、スタメンですか?たしかにターンオーバー制をひくとは言っていたけれどこれは予想外でした。

新聞には前節のブリスベン戦で何人かの選手が高湿度でコンディションを落としたという話もあり、しかもブリスベン~パースは飛行機で5時間半かかるのであればそりゃナットクのいく話。

まあ何にせよチャンスが訪れたのだからこれはぜひモノにしてほしくて。

特に龍については唯一の試合出場(第2節 セントラルコースト戦)で大ピンチを招くミスをしてしまったことが個人的には印象に残っていたので、ここはもう祈る気持ちで見守るしかなくて。

それが実際に試合が始まってみるとこれがまた素晴らしい出だしで。

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セレッソと同じ4-2-3-1の陣形で、2列目の左サイドで見せたプレーはイメージを覆すには十分なものでした。

体をぶつけた競り合いでも十分に優勢なのは予想はしていたけれど、サイドでボールを持ってからの仕掛けで緩急の付け方がすごくよくなっていて。

「こんな鋭いドリブルできたっけ?」と思えるくらいの印象で。

しかも相手DFはファウル覚悟で止めにかかるなど前半だけで6つ(またはそれ以上)のファールを得て、幾度となくチャンスを演出し脅威になっていました。

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味方の攻撃陣との連携も十分で、流れ次第ではセットプレーでも存在感を見せ、スキあれば積極的にシュートを放つなど間違いなくキーマンとしての働きを見せていました。

前半途中からボールがつながらなくなったことで存在感がいったんは薄くなりましたが、終盤には息を吹き返し序盤と変わらぬ質の高いプレーで最終的には左サイドからのファーのクロスで同点ゴールをアシストするという働きを見せる。

最終的には1-1とドローになりましたが、復帰初戦としては上々の内容だったと言えるのではなかったかなと。

試合後にはフェンス越し選手相手のファンサービスも1つ1つ丁寧にこなし。場内照明を減光されるくらい時間が経過しても、笑顔を絶やさず積極的にファンに声をかけながら会話していた様子は南津守や長居で観た光景と変わらぬもの。

この辺の立ち振る舞い、昔から素直に尊敬しています。ホント素晴らしいです。

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試合後にちょこっと話を聞いてみると充実した表情にこちらも一安心。

「ケガの心配をなしにプレーできたこと自体が久々でした」とのコトバが聞けたことで、10月から4ヶ月間のレンタルですでに3ヶ月が経過した中での出場にひたすら安堵、実は第2節もケガを抱えてのプレーだったとのことでその辺も安心できました。

パースは在住の日本人が多いのも嬉しい話で、たとえプロのサッカー選手だとしても実際には21才の若者として見てみれば、環境そのもので苦しい思いをする要素が思ったほど多いわけでもなかったのも安心できる要素。

この日も邦人グループの応援だけでなく、はるばるご家族の方々も訪れていたみたいで、そのタイミングでスタメンフル出場だけでなくいい働きができたあたりはホントによかったなって。


…実は日を改めて練習も見学させてもらい、もうちょいと話することができました。

たくさんのことを色々と感じた中で自分が思ったことをざっくりとまとめると。

彼にとってのパースへのレンタル移籍は「周囲が想定する以上にプラス」やなかったかなって。一回り大きく成長した姿がまた見られるかもと思うと楽しみが1つ増えた気分です。

おそらくですが、日本からの移籍先としてオーストラリアリーグってのはもっと注目されると思うし、その人数も増えてくると思う。レンタル制度の活用も含めれば、今回のケースはその草分けになるかもしれないなって。

個人的にはもっとたくさんの経験を積んでみるのもいいんと違うかなと思えたりもするけれど、この辺は人生何事もタイミングですし。どんな道を歩むにしても、どんな未知のルートを経るにしても最終的に素晴らしいサッカー人生を歩んでくれたらいいなという気持ちは素直なものなので。

まずは今お世話になっている場所で全力で成長して活躍して、かかわる人々にいっぱい幸せをもたらせるよう頑張ってほしいなと。そしてそこで新たに開ける視界が光あふれるものでありますように。

できることならば、また桜色のシャツに袖を通して躍動する龍の姿を楽しみにしています♪

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2012年12月 8日 (土)

台北に行ってきたときのお話でも(2011年10月版・その2)

早起きの習慣は旅先に限って言えばその程度が非常に強くなってしまう。

疲れもあるはずなのに朝6時に起床してしまい、時間を持て余してしまうことにw。荷物も少なく身軽なので早々に出発することにした。

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夜市でにぎわった通りもごらんの通りのすっからかん。
そのかわり別の通りでは早朝から魚市場がにぎわっていました。こういう風景は大好きです。

基隆駅からは電車を乗り継いで目的地へ向かう。
この日の目的地は急速に注目を集める台湾のローカル線「平渓線」
休日ともなると多くの観光客が押し寄せるとのことで、早朝から移動することにしてみた。

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この平渓線の見どころは車窓の美しさと沿線の個性豊かな観光スポット。

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特に有名なのが十分と呼ばれる古い街並み。線路をはさんで相対する商店街が特徴的で、ほんと脇をかすめるように列車が通り過ぎる光景は十分の象徴的風景として観光ガイドでもよく紹介されている。

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そしてここでは願い事を描いて空高く打ち上げる「天燈」と呼ばれる熱気球が有名。色ごとに願い事の種類が分かれていて、その部分には筆で願い事を書くことになる。

数多くの天燈の店があり、列車が通らない間は線路上から打ち上げたりしてけっこう趣深かったりする。

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自分も打ち上げてみました。カッコつけて貴乃花親方が横綱昇進したときの口上を真似て書いてみたら字が間違えていたというw
※「不惜心命」ではなく正しくは「不惜身命」。

無事に打ち上げにも成功し、散策して時間をつぶしたのちは再度列車に乗って移動することに。

下車したのは終着駅の1駅手前にある平渓駅。別に何か有名なものがあるという意識はなかったのですが、こちらでも古い町並みが残っており、時々行きかう列車がなじむ風景は旅情をそそるというか。

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雰囲気、いいかもしれません。じっと立っていると時間の経過とともに味わいが増してくる感じ。ちなみにここでは行列ができる香腸(ソーセージ)屋さんがありました。どうも平渓の名物のようです。

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自分が選んだのはわさびソース味。これがすごくイケてました。

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このあたりで時刻もまもなく昼を迎えようという頃になると、一気に観光客が増えてきた感じ。ピーク時には列車も通勤ラッシュ並みの混雑になるということで早々に平渓をあとにすることに。

終着駅の青桐駅は古い駅舎が有名なのですが、撮影もままならぬくらいの雑踏にもまれることになりました。ではここから台北に戻ろう、ということで移動するのですが別に列車を使う必要はなくて。

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実は平渓からは路線バスを利用して台北まで行くことができます。所要時間も約1時間ならば鉄道と大差なく。

1076系統とよばれ、平渓からはMRT木柵駅までを結ぶ、運転間隔は40~60分間隔といったところ。※時刻表を掲載したかったので路線図が途切れています。またのちほど別の場所で掲載します。

むしろ山中をクネクネを走る道中は日本の風景とどこか似ていて妙な親近感を覚えるかも。ですが自分がこのバスを利用した一番の理由はある目的地に向かうためでした。

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平渓からバスに揺られること約40分、到着したのは深坑(センクン)とよばれる場所。ここは豆腐の名産地として知られ、豆腐専門店が軒を連ねるとっても個性的な街だったりします。

台湾のマイナスイメージといえば鼻を突く独特の香りをまとった「臭豆腐(チョウドウフ)」とよばれる料理。

別に豆腐そのものが臭いわけではないのですがクセがあるのは事実。実際この香りが嫌で夜市を避ける台湾好きも自分の知り合いにはいたりする。

しかし自分は別に気にならない人。
むしろ本場で食するものであればクセがなくむしろ美味なハズと信じての訪問となりました。そう、水戸で買ってきた納豆で美味しさを知り納豆嫌いを克服した時のように(笑)

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露店で売られるのは焼いた臭豆腐の串。味噌田楽風なもの(1本30台湾ドル。漬物トッピングはプラス5台湾ドル)。りあえず初心者は焼いたもので慣れて、そして煮込み料理へステップアップすればいいらしい。

…これが全く臭みがなくてすごく美味しくて。塗られた味噌がすごくイケていたりする。これなら人にすすめても何ら問題のないレベルだと。

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例によって朝から何も食べずに移動してきたので、ここで散策をしつつ乱立する豆腐料理店を物色する。看板のメニューにはこれでもかとばかりの豆腐づくしをコースで提供するものも多いことがわかる。

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そして見かけたのが旬を迎えた現地産のタケノコと一緒に煮込んだ豆腐料理。店先で調理する様子に惹かれてしまい、空腹もあり飛び込むことにした。

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料理名は覚えてないけど、いずれの臭豆腐も全然問題なくて。
むしろ密度の濃い豆腐の風味のおかげでクセになるくらい。
そんなこんなで個人的には臭豆腐を制覇した気分になり、豆腐で満たされた胃袋を押さえながら深坑をあとにしました。

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ちなみに台北市内から深坑に行く場合は、MRTの市政府駅から912番系統に乗れば約20分で到着できます。さきほど平渓から利用した1076系統についても同様に台北市内まで行けます(こちらでは路線図全体を掲載)。

なにぶん台北からは離れた場所にあるイメージで、日本のガイドブックで大々的に紹介されている場所ではありませんが、もしよろしければ行ってみてください。豆腐好きであれば間違いなく満足してもらえると思います。

ちなみに翌朝のお通じがバリウム検査直後並に真っ白だったのはウソのようなホントの話です(笑)

…これでもう自分の満足メーターも飽和、早々と台北市内の宿に移動し一休み。そう、ここで終っておけばいいものをと思ったのはのちの話でして。

ある程度時間も経過した夜、今まで台湾では観光ガイドに掲載されたような店で食事をしたことはほとんどなかったので一度くらいはと思い足を運んだのが小龍包で有名な「鼎泰豐(ティンタイフォン)」。

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せっかくなので晩ゴハンで炒飯、ビールと一緒に頂いてみましたが。

…これが全然アツアツでなくて。猫舌な自分でも物足りないくらいのぬるさ。
正直大したことなかったです。今でこそ日本でも支店がいくつかあるので物めずらしさはないのでしょうが、これを食べるために現地まで足を運んでいる人も知っているだけに「思てたのと違うやん(T_T)」と嘆く自分は運が悪い。

これならもっぺん臭豆腐食べたかったです…。

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そんなこんなで2日めの夜を無事に迎えて翌日は早朝から帰国の途に。
市内中心部にある松山空港から羽田経由で伊丹へ帰阪というルートをはじめて試してみたのですがこれがけっこう便利。

1時間半ほどかけて桃園空港まで行き、関空から帰宅することを思えば大阪市北部住まいならむしろメリットが大きいかも。

ま、こんな感じでぱぱぱっと思い出しつつまとめてみました。
たまにゃサッカーの観戦記以外にこういうのもいいもので(笑)

もしこれから台湾行きを検討されている方がいましたら、ちょいと参考にしてみてくれたらなと思います。また近々2012年版をまとめさせていただきますので見てやってくだされば(^人^)

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2012年12月 6日 (木)

台北に行ってきたときのお話でも(2011年10月版・その1)

いつぞやの記事で取り上げたことに深く関係するのですが、そのパターンにはまってしまっているため航空券の有効期限が切れそうになる毎年10月は台湾までお気楽なぶらり旅に出かけている。

マイレージの消化や別の目的地に行くための航空券購入が主目的とはいえ、せっかくなので短い時間でも楽しまないテはなくて。

そんなわけでいつもと毛色の異なる記事になりますが、自分の色が十分に出せてる旅程なので参考にしてみてくだされば(笑)

まずは2011年のものから。


●2011/10/25 第1日め

この時期になるといつもお世話になるのが関空発のJALの午前便。
自宅を出る時刻も乗り継ぐ電車もまったくお約束で、行動パターンが分単位までいつも同じようになる。

それは台北の桃園国際空港に到着してからも同じ。
到着ロビーを出るとリムジンバスまでのルートさえも同じ、乗車するバス会社(国光客運)さえも同じ。
なので目的地の台北駅到着さえも10分前後の誤差でおさまる。

…とまあここまでは他の時期の渡航でも使える定型文です(笑)

とりあえず台湾に行くたびに家で頼まれるのは「干し貝柱とドライフルーツを買ってきてほしい」という要望。まずは乾物を市場まで買いに行くのがお約束の行動となっている。

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台北駅のコインロッカーに荷物を放り込み向かうのは台北随一の乾物専門の問屋街「迪化街」。タクシーに乗って約10分弱、古めかしい店舗が並ぶ独特の雰囲気もさることながら、店頭にひしめく数多くの乾物類はまさに圧巻。

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価格も市価に比べて3~5割ほど安く。日本で売られている同様のものと比較するなら約3分の1前後の値段で買える。たとえば干し貝柱なら日本なら100g1000円以上するものが迪化街で購入すれば半斤(約300g)で300台湾ドル(約800円)で購入できる。

貝柱が大きいものほど高価になるものの、料理のダシ取りで使う程度であれば形崩れのもので十分なので一番安い欠片モノを購入。この段階で土産の重量がたいがいなものになるのはいつものこと(笑)

ほかにも散策がてらドライマンゴーなどを購入し台北駅に戻る。
たださすがに重い荷物を持っての移動は負担が大きいので、最低限の荷物だけを残して再度コインロッカーに買いまくった土産も追加で預ける。値段も1日あたり50台湾ドルと安いので迷わずの判断。十分モトは取れるはず。

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とまあ初日の台北でのミッションはここでほぼ終了ということで、この日の宿泊地、基隆に向けて電車で移動する。台北から基隆までは普通電車で約40分。台北~基隆では高速路線バスも頻発しており気軽に移動ができたりもする。

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そんなこんなで基隆に到着。宿から眺める風景もけっこう美しかったりする。

ここは台湾最北部の港町で、那覇・石垣からの国際航路と結ばれている。
深い入り江の良港で、台湾の主要都市の1つを占めている。

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ここのメインは廓口夜市。日暮れ前の午後4時の段階で多くの店がすでに営業開始。規模も台湾で有数で、地の利を生かした海産物料理が多い夜市としても知られている。

台北市内にも数多くの夜市があるけれど、個人的には士林よりもこちらが好き。加減のよさが絶妙だったりするので。

ただ夕方は散策にとどめることにして、夕食は別の場所で取ることを企んでいた。

せっかく海沿いの町で宿を構えるならば、少し足を延ばして海鮮料理をがっつり食べたいと思っていて向かったのは基隆駅からバスに乗って揺られること20分、規模の大きい魚市場のある「碧砂漁港」という場所。

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夜でもにぎわう市場と、その周辺に軒を並べる海鮮料理店。
店頭には生け簀を並べて店員の熱心な呼び込みの声があちこちに響く。

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そんな中自分が気になったのは写真のイカ。アオリイカか甲イカか区別がつかなかったけれど、せっかくなので「1人で食べられる程度の大きさのイカはないのか」と声をかけた段階で交渉開始。

1パイで1000台湾ドルとやや高めの値段を提示してきたところを何とかカタコトの日本語、英語、中国語を交えつつ一番小さいイカを探し出し、さらに空心菜の炒めものをサービスしてもらって800台湾ドルまで値切る。これでも十分いい値段だけれど、調理代込みならばもう納得しなくては。

そこで調理方法の希望を「身は刺身、下足は塩焼きで」と出してみたらその結果は。

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…身は刺身になっていたけれど。下足は濃い味付けのにんにくの芽炒めになってしまいました。モノ自体は新鮮なのでかなりの美味やったけど、自分は無類の下足好きなので塩焼きにはこだわりたかった(苦笑)

昼ごはん抜きではあったものの量的にも質的にも大満足で店をあとにしました。これは嬉しかったです。

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基隆駅に戻るバスを待つ間、近くの店の看板などをじっと眺めていると値段的には日本のものとそう変わらない印象が。日本語の話せる店員に尋ねると量的には間違いなく多いとのことですが、これでも市内に比べると安いそうです。

何も台湾に来てまで日本でも食べられそうな海鮮にしなくても…といわれそうですがこれはこれで大アリ。自分にとって新鮮なイカ、特にし下足はすべての存在を凌駕するだけの食材ですので(笑)

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基隆駅まで戻って腹ごなしがてら再度廓口夜市を散策する。多少なりの胃袋の余裕が出るまで歩きまわること約1時間、なんとか現地の旅行雑誌で書かれていた「基隆の夜市ではコレ押さえとけ」的なメニューを2つほど試してみることにした。

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1つは基隆の夜市の代名詞とも言うべき一番人気の天ぷら。これがサクサクした食感で見た目ほど脂っこくないのが意外。さすがやなと感心。

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そして数多くの同様の店から自分の直感を信じて買ってみたのが油飯。おこわみたいなものかなと。しかし満腹近くの状態でもコレがとても美味しい。これもあっさりしている。完食とはいかず少々残したけれど、初日にしては上々の旅ができてよかったです。

ちなみにこの日の一番の発見は宿泊していたホテルのTVで流れていたAVが無修正だったことでした。ご参考までにw。

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2012年12月 5日 (水)

未練だらけとは思います、自分も本人も。(十八代目中村勘三郎のおはなし)

いつもより早く目覚めつつ、さらっとYahooのトピックスに目を通した瞬間呆然としてしまった。病状の厳しさは各種報道からそれなりに感じ取れたものの、まさか57才という若さで先代たちの待つ場所に旅立ってしまうとは。

実は1995年頃から2000年までの間、自分は東西問わず歌舞伎見に行きまくっていた。セレッソどころかJリーグの試合はこの間まったく見向きもせずで、今にして思えば変な空白かもしれないけれど、この間に見てきた数多くの舞台は自分にとってこれ以上ない至福をもたらしてくれたものだった。

日帰りの東京出張が多かった時期でもあり、仕事を終えたら歌舞伎座に向かって幕見で最後の演目をちょろっと見たりしてから夜行バスで帰阪して直接出勤したりも結構していたっけ(^_^;

ごひいきの役者さんは別にいたけれど、中村屋が出演していた演目は大好きだったので極力観るようにしていた。だって素直に面白いし。

歌舞伎見物自体あまり乗り気でない家族も勘三郎(当時は勘九郎)の芝居だけはすごく見たがっていたくらい。ちなみに一番おもしろかったのは藤山直美と共演した「浅草パラダイス」だそうです。それってふつうの現代喜劇やけどw。

「京鹿子娘道成寺」「連獅子」などの舞踊も迫力満点やったけど、自分が印象深いのはやっぱ世話物やったかな。「浮かれ心中」「研辰の討たれ」「法界坊」「髪結新三」「文七元結」など演目をあげていけば多くは見ていなくても、当時の感想は今でもすっと思い起こせるくらいの印象深さがある。誰と見に行ったかも思い出せるけどこの辺はキズがうずくこともあったりするので触れないことにする(苦笑)

一番爆笑したのは松竹座で見た「浮かれ心中」。

ちょうど大阪近鉄バファローズの消滅騒動があった頃で、お約束のご当地ネタの乗せ方がドタバタすぎたのがすごかった。そして中村屋の芝居に出ている時の福助の凄さも目の当たりにして、もう二度と芝居が観れなくても悔いなしと思えたくらい。

ただ一番印象深いのは2001年の「野田版 研辰の討たれ」。

東京に3日間滞在して幕見、最前列、三階席と違う場所で連続鑑賞したくらい。セリフは今でも多少は覚えてる。今でも語り継がれる伝説の舞台は批判も賞賛も多い話題の演目。すごく勘九郎らしさの出た等身大の舞台でした。

歌舞伎には「潔さ」とその裏側の「忍耐、辛苦」ってのが美しく描かれるイメージになるけれど、まあこの演目は完全にひっくり返って「往生際の悪さ」というか「未練」というか、見ていて美しさは感じないけれどありのままの人間の姿が現れていて、素直になれず胸中におさめることの大変さが目に見える様子にいろいろと深く考えさせられたりもして。

劇中「武士は脳卒中では死なぬ!」と豪語するお侍さまが脳卒中であっさり亡くなったりして。実際はそんなもんよね(^_^;

特に大詰めの場面で切腹を促すと思えば、周囲の雰囲気に流されて反対に思いとどまるように口々に説得したりして。野次馬というか民衆の無責任さが、メディアに振り回される人々の浅はかさをこ皮肉っぽく表現していたのが印象的やったです。なのであえて今こそ多くの人が観られるかたちで再放送してほしい。

ここで劇中の名セリフの一部を抜粋してみる。要は周囲から切腹を強要される中吐露した本音というか。

自分で切腹用の刀を研ぎながら切々と語るのですが。

「…生きた緑の葉っぱが枯れて 真っ赤な紅葉に変わり

あの樹の上から、この、どういうことのない地面までの

そのわずかな旅路を潔くもなく散っていく。

まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、

散りたくねえと思って散った紅葉のほうがどれだけ多くてござんしょ。」

劇中ではややコミカルに描かれている一場面ですが、これは死を迎える間際の人にとっては偽らざる本音と違うかな。誰も死にたくて生きている人なんていない。生きていることが死ぬより辛い人がいたとしても、本音は生きたいと思っているはず。

なので散ってほしくなかった。

散ったとしても風で舞い上がったり枝に引っかかったりして地面までの旅路を少しでも長くしてほしかった。

かえすがえすも残念すぎて言葉さえもうまくまとまらない。

そんなわけで稀代の名優が早々に旅路を終えてしまったのは残念やけど、歌舞伎には時代を紡ぐ糸のように思いを託せる次代がいる。

当代の中村屋には、もしかしたらこの先に父が描いたであろう旅路を御見物を巻き込んでより楽しくつくっていってほしいなと思います。

Hokaibou

何はなくとも十八代目におかれましては天国でもお元気で。

夢の続きを空高い場所で実現していってくれたらなと思ってます。

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